新紙幣の人物を簡単紹介!渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎とは?

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新紙幣
政府は数年後をめどに、お札に描かれている人物の変更をするため準備をしていると発表しました!

しかも今回はなんと1万円札、5000円札、1000円札を変更するとのこと。

そこで今回は各紙幣に描かれている人は誰で何をした人なのか簡単に説明します!

新しい紙幣が流通したらお友だちに教えてあげましょう!

1万円札に描かれる渋沢栄一とはどんな人?

1万円札の変更は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来のこと。

若い方は今の福沢諭吉の1万円札しか知らないという人も多いのでは?

では次の新紙幣に描かれる渋沢栄一について簡単に紹介します。

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名前:渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)
生年月日:1840年3月16日~1931年11月11日(享年92歳)
出身:埼玉県深谷市血洗島
職業:江戸時代の武士、官僚、実業家、教育者
ニックネーム:「日本資本主義の父」

武士で官僚で実業家で教育者?なんのこっちゃですよね。

渋沢栄一さんは…

第一国立銀行や東京証券取引所、一橋大学などのような色々な企業や学校を設立、経営した偉大なる実業家です。

そのために「日本資本主義の父」とよばれています。

渋沢さんは原料の仕入れから販売まで行うような大きい農家の出身。

幼少の頃から商売のいろはを身につけ、親兄弟とともに商品を全国に売り歩きます。

この時の経験が後々に銀行や企業を創設することに役立ったそうです。

また父親からは読書や剣術をすすめられ、様々な師範から日本外史や剣術を学びます。

青年時代は江戸に出て道場に入門し、尊皇攘夷の思想に目覚め幕府を倒す計画をたてます。

しかし計画は中止、父親には勘当され京都に出るとめぐりめぐって当時の将軍、徳川慶喜に仕えることに。

将軍の代わりの護衛としてパリ万博やヨーロッパ各国を訪問。

各地で先進的な産業や社会をみて感銘をうけ、帰国後は武士をやめ大隈重信の説得もあり当時の大蔵省に入省します。

官僚として現代に通じる改革案の起案や条例制定に携わりますが、数年後には大久保利通や大隈重信と対立し退官。

まもなく第一国立銀行(現:みずほ銀行)を設立し頭取に就任し、以後も多くの銀行の設立を指導しました。

他にも有名どころでは東京海上火災保険や田園都市(現:東京急行電鉄)、帝国ホテル、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビールなどなど。

渋沢さんは社会活動にも熱心で日本赤十字社などの設立や、関東大震災の復興支援もおおいに活動したそうです。

その傍ら教育にも力を注ぎ、商法講習所(現:一橋大学)を設立。

また男尊女卑の思想が残る時代に女性への教育の必要性を感じ、伊藤博文、勝海舟らと共に女子教育奨励会を設立。

日本女子大学校・東京女学館の設立にも携わりました。

本当にさまざまな業界・業種の企業や学校設立に関わり、その数は500以上といわれているそうです。

現代にある有名なものは、だいたい渋沢さんが作ったんじゃないかと思っちゃいますね。

日本を代表する経済人として、この機会に覚えちゃいましょう!

5000円札に描かれる津田梅子とはどんな人?

5000円札の変更は2004年に新渡戸稲造から樋口一葉になりましたね。

今回は津田梅子という方に代わります!

津田梅子さんとはいったいどんな人物なのか?

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名前:津田 梅子(つだ うめこ)
生年月日:1864年12月31日~1929年8月16日(享年64歳)
出身:東京都新宿区南町
職業:教育者
ニックネーム:「津田塾大学の創始者」「女子教育の先駆者」

津田梅子さんはニックネームの通り、津田塾大学を創設した人物です。

と、簡単にいってしまえばそれで終わってしまいますよね。

ですが、津田梅子さんの時代は女性が教育を受けることは本当に限られた人だけだったのです。

ましてや女性が学校を設立するなど本当に珍しいことだったそうです。

津田梅子さんの父・津田仙は幕府崩壊とともに明治政府の事業である北海道開拓使の嘱託となります。

開拓使の次官・黒田清隆は女子への教育に関心をもっており、岩倉使節団に随行する女子留学生を企画。

父は当時6歳だった梅子さんを女子留学生に応募し、岩倉使節団に随行して渡米させます。

女子留学生5名中2名は数か月後帰国し、残ったのは梅子、大山捨松、瓜生繁子の3人。

この3人はのちに日本で教育者として名を残すことになります。

梅子さんはその後十数年、アメリカにとどまり私立の女子校へ進学します。

英語やラテン語、フランス語などの語学や英文学、自然科学や心理学などを学び、卒業後日本へ帰国します。

しかし、帰国後の日本では女子留学生の活躍できる職業も少なく、日本語も忘れかけていたため困ることに。

そこへ伊藤博文と再会する機会があり、近代日本にのこっていた貴族階級である華族の子女を対象にした華族女学校の英語教師になります。

そこで3年ほど勤めますが、上流階級の風習に嫌気がさし、また何度も縁談の話をもちかけられ日本の結婚観にもうんざり。

生涯の未婚を誓いそれを貫きます。

留学時代の友人アリス・ベーコンが来日したのをきっかけに再びアメリカへ留学し、ベーコンが日本女性に関する研究を出版する際には手伝うことに。

このときの経験で梅子さんは日本女性の教育に関心をもつことになったそうです。

留学中に日本女性の実情をうったえる公演や募金活動を行い、「日本婦人米国奨学金制度」を設立。

この制度を利用して渡米留学した女性の多くがその後の日本で女性教育の指導者となっているそうです。

梅子さんは帰国後、再び華族女学校や他の学校で教師生活を続けながら女学生への支援も積極的に行います。

高等女学校令、私立学校令といった女子教育の法も整いだし、時代の流れにのって「女子英学塾」(現:津田塾大学)を設立。

この創設には父・仙やアリス・ベーコン、ともに留学生だった大山捨松、瓜生繁子らも関わっています。

今までの女子教育といえば作法や行儀の延長のようなものだったのが、この学校では人々の階級関係なく皆が自由でレベルの高い教育を受けることができました。

津田梅子さんは女性の社会進出におおいに貢献した人だったのです!

1000円札に描かれる北里柴三郎とはどんな人?

1000円札も2004年に夏目漱石から野口英世に変わって以来の変更となります。

北里柴三郎さんもあまり聞いたことがないですよね。

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名前:北里 柴三郎(きたざと しばさぶろう)
生年月日:1853年1月29日~1931年6月13日(享年78歳)
出身:熊本県阿蘇郡小国町
職業:医学者・細菌学者
研究分野:細菌学
ニックネーム:「近代日本医学の父」

北里柴三郎さんは庄屋の家にうまれ、忙しい両親に代わって親戚の家に預けられ厳しい躾や教育を受けました。

熊本医学校に入学し、そこで出会った教師マンスフェルトによって本格的に医学に目覚めました。

東京医学校(現・東京大学医学部)に進学しますが教授の論文に口出しするため何度も留年。

在学中に「医者の使命は病気を予防することにある」との考えに至り、「医道論」を執筆します。

その後内務省衛生局へ就職。

数年後には東大教授兼衛生局試験所所長を務めていた緒方正規によってドイツのベルリン大学へ留学します。

ドイツではロベルト・コッホのもとで研究に明け暮れ、世界で初めて破傷風菌の培養や抗毒素を発見し世界の医学界を驚かせました。

また血清療法を開発しそれをジフテリアに応用するなどして論文を発表し第一回ノーベル生物学・医学賞の候補にもなりました。

論文がきっかけで世界中の研究所や大学から声がかかりますが、国費で留学していた目的である日本の医療体制改善や伝染病予防のために帰国しました。

しかし、ドイツ滞在中に北里さんは恩師である緒方正規の脚気に関する見解を批判・指摘したことで、東大医学部とは対立してしまい帰国後は日本で活躍できませんでした。

それを知った福澤諭吉が援助し設立した国立伝染病研究所(現:東大医科学研究所)で北里さんは初代所長を務め、伝染病予防や細菌学を研究。

のちにペストが蔓延していた香港に政府から派遣され、北里さんは原因菌であるペスト菌を発見!

北里さんの大活躍の裏では政府と東大による確執のせいでいざこざがあり、北里さんは国立伝染病研究所をやめ私費で社団法人北里研究所を設立し移ります。

そこでも狂犬病やインフルエンザ、赤痢などの血清開発に従事。

また福沢諭吉が亡くなった後、恩返しとして慶應義塾大学医学部を創設し、北里研究所の名だたる教授面々を送りこんだり北里さんは無給で医学部の発展に貢献したそうです。

その頃の日本では乱立していた医師会を一つにしようと、大日本医師会を設立し北里さんは初代会長に就任。

その後医師法に基づく日本医師会となり、北里さんは日本医学の発展におおいに貢献したのです。

まとめ

こうして日本の発展に大きく貢献した功労者の3人が新紙幣に採用されることになりました。

普段よく目にする紙幣になることで、今まであまり知らなかった人物も身近に感じられますね!

私たちが今快適に暮らしているのも、過去にこうした人々の尽力があったからなのです。

ところで・・・

あれあれ?2千円札はどこいった??

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大阪在住のアウトドア大好きサラリーマンです。
趣味は旅行や登山、サーフィンですが子供が産まれてからは地元の公園でおとなしく遊んでいます。

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